辻村寿三郎の歴史を知る JYUSABUROU TSUJIURA 辻村寿三郎、そして現在の二代目辻村寿三郎。 辻村寿三郎 1933-2023 つじむら じゅさぶろう 1933(昭和8)年、旧満州国錦州省朝陽に生まれる。1944(昭和19)年、母と共に広島県広島市楠木町に引き揚げ,原爆投下4ヶ月前には双三郡三次町(現三次市)へ移り、22歳まで過ごす。三次中学校では演劇部に入部し、卒業後は演劇サークル「夕鶴の会」を結成。また、市内にあった三次劇場と東座で看板絵を描いて過ごした。1955(昭和30)年、母の死をきっかけに前進座の河原崎國太郎を頼り上京。劇団や小道具制作会社を転々とし、26歳で人形制作を一生の仕事とすることを決意。現代人形美術展への出品、寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」において人形制作などを担当する。1973(昭和48)年、NHK人形劇「新八犬伝」の人形美術を担当し、一躍注目を浴びる。その後も更に活動の幅を広げ、蜷川幸雄演出の舞台「王女メディア」「近松心中物語」でのアートディレクターをはじめ、数々の映画、舞台において衣裳デザインを担当。ほか、着物デザイン、演出、脚本、人形芝居の上演など多岐に渡って活躍した。2023年2月5日、三次市内の病院で逝去。満89歳没。 二代目 辻村寿三郎 川崎員奥 1948- かわさき かずお 1948(昭和23)年、広島県大竹市に生まれる。1954(昭和29)年、華道家元・池坊に入門し、40歳まで華道家として京都で活動。1991(平成3)年に上京し、以降は辻村寿三郎に師事。1994(平成6)年に帝国劇場で浅丘ルリ子主演の舞台「恋紅」で初舞台を踏み、華道家としての活動の傍ら、人形出遣いとして各地の公演に参加。蜷川幸雄演出の舞台においては衣裳コーディネーターとして名を連ね、「近松心中物語」「元禄港歌」では師の辻村と交代で出演。また、シャンソンを斎藤勉氏に師事し、辻村の公演においても披露するなど、シャンソン歌手としても活動。2021(令和3)年、二代目辻村寿三郎を襲名し、三次市内のアトリエ「木綿兎」を拠点として人形制作や人形教室、各地でのライブや講演会など精力的に活動している